2021.3.1

あなたが食べているご飯は、となみ野生まれかも?

 富山県砺波市・庄川地区とその周辺にあるおいしいものを、全国にお届けしているオンラインショップ「庄川温泉郷商店」。全国のみなさんに、もっとその土地にある物語を知ってほしくて、この「さとの暮らし」は生まれました。庄川の文化や暮らしにまつわる物語を、月に1回発信していきます。

 今回は、庄川の氾濫原を田んぼにした「松川除堤防」や、全国一の出荷量を誇る「種もみ」など。“米どころ”としての庄川地区に、深くかかわるお話をご紹介します。

松川除堤防が、庄川の氾濫原を田んぼに

 庄川は、いつも同じところを流れていますが、それが当たり前ではない時代がありました。かつては流れが定まっておらず、右に行ったり、左に行ったりを繰り返していたのです。それにより何万年もかけて河岸段丘ができ、庄川扇状地が形成されていきましたが、洪水が頻繁に起こり、あらゆるものが被害を被っていたそうです。

 そこで、ひと肌脱いだのが、加賀藩でした。時は、江戸時代。庄川の流れを一本にするために、庄川扇状地の扇頂部に「松川除堤防」を造ったのです。1670年に着工してから、約40年もの歳月をかけてコツコツと。庄川があふれた時に水をプールできる場所を無数に作ることで、川筋を固定化したのだそうです。すると、今まで危険だった氾濫原を自由に使えるようになりました。そして、当時、最も価値が高いとされたお米を作るために、氾濫原を開拓し続けた結果が、今の砺波平野の散居風景、そして全国有数の米どころにつながっています。

となみ野の種もみが、全国の田んぼで活躍

 おいしいお米は、品質の高い水稲の種子「種もみ」から生まれています。富山県は、全国一の種もみ出荷県ですが、その作付面積・生産量ともに50%以上を占めているのが、種もみの発祥地と言われる庄川地区と中野地区からなる「となみ野」なのです。栽培の起源には諸説がありますが、江戸時代から行われていたことは確か。松川除堤防ができたことで、安心して種もみを育てる田んぼ(種子場)を作れるようになったのでしょう。

 となみ野の種もみは、発芽が早くて粒の張りが良く、中身がぎっしり詰まっていて、高品質と評判です。豊かな水や水はけの良い土壌に加え、初夏から秋にかけて吹く庄川嵐(しょうがわおろし)という強風が、その大きな理由といえるでしょう。もみにつく霜を切り、病気を防いで健やかな生育を促しています。

 また、ほ場審査も、高品質の理由のひとつ。生産農家の人たちが、色や形の異なる異茎や水田雑草などを株ごと抜き取り、ほ場管理を徹底しています。夏場の暑い時期のこまめな手作業は、根性がないとできません。

 さらに、JAとなみ野稲種センターでは、充実した設備で粒の大きさやもみの重さなどを徹底的に選別。長い過程を経て、発芽率90%以上のものだけが出荷されます。恵まれた気候風土、生産者の努力と根性、そしてJAの人たちの情熱が、良い種もみを全国に届けているのですね。

ほ場審査で不合格になると、種にならずに米へ。これまでの努力が水の泡にならないよう、生産農家の人たちは懸命に抜き取り作業に励みます。

♪五ケは良いとこ種どころ

夜は宵から露切風が

今日も川の瀬地ひびきなして

明けりゃ青空日本晴じゃい♬

 これは、郷土の民謡「五ケ種チョンガレ踊り」のワンフレーズで、いつの頃からか庄川五ケ地区の盆踊りで唄われるようになったそうです。良い種もみができる地元への感謝の思いがいっぱい。

 その温かい心で作られた種もみは、あなたの家の近くの田んぼで活躍しているかもしれません。

庄川五ケ地区では、毎年8月に盆踊りを開催。「五ケ種チョンガレ踊り」は、郷土の民謡として、大切に唄い踊り継がれています。

この話を教えてくれた人

「全国一の種場としての責務を果たす!」と熱意を語るJAとなみ野稲種センターの所長・佐藤清信さん(左)と、「種もみの里出身者として地域に貢献したい!」と瞳を輝かせる同センターの営農指導員・村上和雅さん(右)。
「松川除堤防」のお話にご協力いただいた方は、砺波市教育委員会 学芸員の野原大輔さんです。

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