2021.9.1

縄文時代から、令和の今も、人を惹きつける場所「庄川」

 富山県砺波市・庄川地区とその周辺にあるおいしいものを、全国にお届けしているオンラインショップ「庄川温泉郷商店」。庄川の玄関口にある「道の駅庄川」が運営しています。全国のみなさんに、もっとその土地にある物語を知ってほしくて、この「さとの暮らし」は生まれました。庄川の文化や暮らしにまつわる物語を、月に1回発信していきます。

 今回は、県内で最も多く土器が出土する「松原遺跡」から、縄文時代から令和にいたるまでの、人びとの暮らしの様子を紐解きます。

縄文時代から人びとが暮らしていた庄川地区

なぜか、人が集まる場所というものがあります。
 庄川町の玄関口「道の駅庄川」の向かいには、今も家々が立ち並び、夕方にはカレーの匂いがしてくるような住宅街が広がっていますが、今から4、000〜5、000年前の縄文時代中期もたくさんの人が暮らしていました。その頃には、複数の家族が1つのグループになって生活をしていて、そんなグループがたくさん集まった「拠点集落」が築かれていたのです。家族ぐるみで暮らすのは楽しいのか面倒なのか分かりませんが、常に大勢での食事はワイワイ賑やかそうではあります。
 だから、県内で最も多く土器が出土する「松原遺跡」になったのでしょう。

 「道の駅庄川」の近くには、「庄川」という川がゆったり流れていますが、思えば縄文時代から流れているのですね。
 その頃には、庄川で鮭を獲ることができました。そして近くの里山では鹿や熊、猪、果樹などが採れました。山と川の恵みにあやかれるうえ、ちょうど扇状地の扇状部にあたるため、庄川が暴れて反乱する心配もありません。美味しいものを食べ、安心して眠れる。いいことづくしの場所だから、たくさんの人が居着いたんですね。だから、今、「道の駅庄川」が災害時の避難所に選ばれているのかもしれません。

「松原遺跡」から出土した土器。縄文人の暮らしぶり、そして発掘活動をした地元の人たちの熱意が伝わってきます。

大らかでオープンな気質は、縄文時代から?

 現代人は、何かにつけて車で移動します。しかし、どこへ行くにも自分の足で向かう縄文人は、現代人とは時間の感覚が全然違っていて、五箇山と庄川地区の行き来を当たり前のように行っていました。五箇山に住む縄文人が、庄川地区に住む縄文人と、それぞれの文化を交換していたのです。そんな素敵な交流は五箇山だけにとどまらず、飛騨や新潟、信州、関東など、いろいろな地域の人たちと盛んに行われていたと、「松原遺跡」の土器が今に教えてくれました。庄川地区は、昔からよその文化を大らかに受け入れるオープンな気質だったのですね。

 しかし、一寸先が見えないのは、今も昔も同じ。縄文人は、多くの土器を残したまま、ある時忽然と消えてしまいました。その謎は未だ解明されていませんが、地の利の良さは解明されています。今の「道の駅庄川」は、石川県金沢市、岐阜県飛騨高山市、富山県氷見市と、北陸三県の魅力的な場所からほぼ同時刻でたどり着ける場所。東京や大阪、名古屋からのアクセスもスムーズなので、県内外から多くの人が気軽に訪れています。やはり、人を惹きつける場所は、時代を悠に超えるのですね。皆さんもぜひ遊びに来てください。

教えてくれたのは… 砺波市教育委員会学芸員 野原大輔さん

大正初期から知られるようになった「松原遺跡」は、「道の駅庄川」のそばにあります。庄川に来たら、縄文時代に思いを馳せてみてください。

縄文人は魚網用と思われる石器を使って、庄川の魚を獲っていたと考えられています。


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