2021.2.6

日本のセメント王の一言で、東洋一のダムが生まれました

 富山県砺波市・庄川地区とその周辺にあるおいしいものを、全国にお届けしているオンラインショップ「庄川温泉郷商店」。全国のみなさんに、もっとその土地にある物語を知ってほしくて、この「さとの暮らし」は生まれました。庄川の文化や暮らしにまつわる物語を、月に1回発信していきます。

 今回は、東洋一のダムと呼ばれた「小牧ダム」のお話。いまやミシュランガイドに富山県内最多掲載を誇る庄川温泉郷の旅館や、国内外から多くの観光客が訪れる庄川遊覧船など。庄川地区の発展を語る上で、「小牧ダム」は欠かせない存在なのです。

電気を作る前に、活気を生みました。

 電気をつくったり、川に流れる水を調整したり、田んぼに水を届けたり。ダムは、わたしたちの生活になくてはならない存在です。

 庄川地区に発電専用の「小牧ダム」が築造されたのは、明治・大正時代を代表する実業家・浅野総一郎が、庄川の流れを見て「おお、黄金が流れている」と発したのがきっかけ。たった一言で多くの人とお金を動かす影響力の強さに驚かされます。それもそのはず、彼は浅野工場(浅野セメントの前身)の設立や、京浜工業地帯の埋立事業などによって、一代で浅野財閥を築き上げた人物なのです。

 ダム建設がスタートしたのは、大正14年(1925)。浅野の言葉に端を発したそれは、地域経済にとてつもない影響を与えることになります。

 分かりやすい大きな変化は、人でした。工事従事者や関係者、その家族など、数多くの人たちが庄川地区にやってきたのです。それに比例して、飲食店や旅館、芸者の置屋がどんどん増え始め、金屋と青島の商店街にある料理旅館や飲食店によって「金青組合(庄川峡観光協同組合の前身)」が創立されました。当時、料理旅館は20件ほどあり、笑いが止まらないほど賑わったみたいですよ。

見るだけでなく、食べることもできます。

 昭和5年(1930)に完成した小牧ダムは、「東洋一のダム」と謳われました。当時の人は、さぞかし誇らしかったことでしょう。
 高さ79.25m、長さ300.84mの優美なアーチ状に17門の排水ゲートを持つ、日本初の重力式可動堰型コンクリートダム。現在、日本にあるダムの中でも、あれだけ多くのゲートがあって見た目も美しいダムは、ほとんどないのではないでしょうか。地元だから贔屓目に見ているのではありません。全国で初めて国登録有形文化財になったほどなのですから。

 完成後、ダムによる人造湖に舟を浮かべたことで、現在の庄川峡遊覧船が生まれ、新たな観光地として脚光を浴びるようになりました。その数年後には、下流に用水を分けるための庄川合口ダムができました。おかげで、砺波平野の水の調節がうまくいくようになり、農業の発達を促すようになりました。また、浅野が手がけた東洋一の発電所「佐久発電所」を持つ群馬県渋川市・伊香保温泉との新たな交流も生まれました。

  川の流れという何気ない風景を見て、瞬時にチャンスを掴み取った浅野総一郎。「幸運の女神には、前髪しかない」というレオナルド・ダ・ヴィンチの諺があるように、日頃から何事にも好奇心を持ってアンテナを張り続けることが、成功の秘訣なのかもしれませんね。ここ庄川地区で小牧ダムのダイナミックなスケールを体感し、「庄川ウッドプラザ」で「舟渡ダムカレー」を食べながら、日本のセメント王に思いを馳せてみませんか。明日からいつもの景色が変わるかもしれません。

雪景色の中、静けさをたたえた湖面の上を泳ぐように進む庄川遊覧船。この船でしか行けない温泉旅館「大牧温泉」は、全国的に有名です。

この話を教えてくれた人

このお話にご協力いただいた方は、庄川峡観光協同組合の専務理事を務める川崎和夫さん。事業部門の責任者として、日々活躍中。庄川地区出身と、生粋の地元っ子でもあります。


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